真性終末症候群-World end,eve-(フリー・ビジュアルノベル)紹介・感想

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豊富な一枚絵とグラフィックが目を惹くノベルゲーム「真性終末症候群-World end,eve-」の記事です。
作品については、フリーゲームのサイトで何度か見かけたり、Twitter上での感想を見たりしているうちに、興味を持ちました。
さらに、「同人ゲーム・オブ・ザ・イヤー2019」受賞作品でもあることから、プレイしてみたいという思いに変化しました。
プレイ時間は、正確には測っていませんが、3時間前後ほどだったと思います。

ノベルゲームの特性上、ネタバレ無しの項目では、あまり書けることが無いため、紹介記事としては貧弱な内容なのでご注意ください。
ネタバレ有り感想であれば、色々と書いています。

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ふりーむ!

フリーゲーム夢現

ゲーム概要


ゲームとしては、選択肢が無い一本道のノベルゲームです。
背景にはキャラクターの立ち絵や一枚絵が表示され、その上に文字が表示されていくタイプです。
文字の表示速度やスキップ設定なども充実しており、システム周りでは、ストレスは全く感じません。

物語としては、まずは、主人公の睦月(むつき)と、その幼馴染である彼方、転校生の遥、友人の浅一らとの日常が描かれます。
その後、とある出来事を経て、睦月は、世界と自分たちの関わり方について、どのようにしていくのか決断を迫られることになります。
見所は、それぞれのキャラクターの考え方・在り方だと思います。

感想(ネタバレ無し)

まず最初に驚かされるのは、一枚絵の多さと、グラフィックの綺麗さです。
それほど長い作品ではありませんが、200枚近い一枚絵が使用されており、かなり手が掛かっていると感じます。
当たり前のように一枚絵ポンポンと使われていくので、感覚がマヒしてしまいそうです。
一瞬しか使われないようなシーンでもどんどん使われていくので、贅沢に感じられます。

物語の内容についてですが、本作は、激しいバトルや、巧妙に仕掛けられたトリックがあるわけではありません。
タイトルにもある通り「世界の終末」について、登場人物たちの向き合い方や考え方、想いなどを、滔々と語っているという印象を受けます。
娯楽性よりは、純文学的な方向性に近いのではと思います。

したがって、受身で面白さを享受するという姿勢よりも、自らゲーム側の世界に入り込んで行き、自問自答することができるプレイヤーであれば、より楽しめると感じました。
タイトルやグラフィックに惹かれたら、一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

感想(ネタバレ有り)

この先はネタバレ有りの感想となっています。
そのため、まだプレイしていない人はご注意ください。

僕はノベルゲームをプレイした後に、「本作のテーマは何だったのか」とか、「何をプレイヤーに伝えたかったのだろう」ということを、考えるようにしています。
ミステリーやサバイバルホラーのような、物語自体にパズル的な要素が仕掛けられているノベルであれば、読み終えること自体がゲームのクリアになりますし、達成感を得られます。

しかし一本道のノベルゲームは、ただ読み進めているだけで、いずれゲームは終わります。
では、それを読み終えるだけで、果たしてクリアなのでしょうか。
解釈が間違っていたとしても、自分なりに考えて、自分はどのように考えるかということをアウトプット出来て、初めて自分の中ではクリアしたという気持ちになります(個人の意見です)。
というわけで以下の記事では、自分なりに解釈した物語の内容やテーマについて、考えていこうと思います。

終末を迎えてはループするという構造の世界で、主人公の睦月は、その世界を壊すという選択をしました。
自らが何度もループしており、その記憶の蓄積があるなら、終わらせたいと考えても仕方ないでしょう。
しかし睦月は、そういった繰り返しの記憶を引き継いでいるわけではありません。
何度も繰り返す苦しみや孤独を、主観として体験していないのに、みんなの幸せの体現である世界を壊すというのは、かなりの狂気であると思います(「あとがき」にも書いてありますが)。

本来であれば、何度も繰り返している遥こそが、この世界を壊したいと思うようになる気がするのですが、その遥は、世界の存続を願っています。
外の世界に、よほど戻りたくないのかもしれません。
自分が望んだ日常であるとはいえ、記憶を持ったまま、永遠にさまよい続けることを選ぶ遥も、睦月に負けず劣らず、常軌を逸しているところがあると思います。

睦月が世界を終わらせる理由そのものには、僕も共感できます。
物語後半で睦月は、彼方の会話において、以下のように明言しています。

『例え、永遠に同じ時間を繰り返しても。無限に幸福な世界を繰り返しても。この世界には、その「先」が、存在しない。
それじゃあ、きっと。何もかも意味の無いものになってしまう。
ここで過ごした思い出も、彼方の想いも。なにもかも。
永遠とは、ただの停止で。永遠に同じことを繰り返すなら、そこに意味なんて存在しないのだから。俺は、意味の無い永遠よりも、意味のある終わりを求めたんだ。
それが、たとえ誰を敵に回しても。』
(陸奥睦月)

これは、至極真っ当な理由だと思います。
我々プレイヤーの立場から考えると、永遠に同じようなことを繰り返す世界に居続けるのは、酷く退屈なことのように感じます。
しかし睦月は、自らの主観で繰り返しを体験しているわけではないですし、その記憶もはっきりとはありません。
前述したように、遥が、世界を終わらせるという選択をするのならわかりますが、睦月は自らの体験無しに壊す選択をします。
自分が実感していないことについて、頭で考えて大きな決断をするわけです。
これは、睦月が自身の信念を押し通す、非常に強い自我を持っていることの証左であるように感じます。

睦月はこの繰り返しを、『意味の無い永遠』と言いますが、他の登場人物にとって、決して意味がないわけではないはずです。
しかし、『たとえ誰を敵に回しても』、睦月は自分の出した答えを信じて突き進みます。
この世界を作った真堂満月も、それが幸せだろうという自らの考えに従い、実行したに過ぎません。
そういう意味で、睦月と満月は、非常に似た者同士であるということが納得できました。


もう一つ、睦月の言葉の中で、以下のようなものがあります。
『一度しかない人生で。一度しかない選択だからこそ、意味があるんだ。その選択は、一度きりの人生で、懸命に掴みとった、たった一つの人生なんだから』

この言葉は、共感できる言葉でした。
確かに、何度もセーブとロードでやり直しができる選択肢であるのなら、その選択に重みはありません。
間違えたのなら、やり直せばいいだけです。
しかし人生には、やり直しがきかない一回こっきりの選択というものは多くあります。
だからこそ、一つ一つの選択にも慎重になりますし、たとえどんな結果が起きようとも、自分自身の責任で引き受けるという覚悟が必要になってきます。

個人的には、この永遠に繰り返される世界においても、本人たちがやり直しを認識していないのであれば、選択の重みは変わらないのでは、とも思います。
主観的には『たった一度しかない選択』であるのなら、尊重するべきだと感じます。とはいえ、睦月は自分が少しでも正しいと思った考えであれば、それに突き進んでいける力を持っています。
さらに、自分の考えを実行できる手段もあるとなれば、誰も彼を止めることはできないでしょう。


以上を踏まえて、本作のテーマは何だったのかと考えてみました。
睦月、彼方、遥、浅一、有子、みんなそれぞれの考え方があります。
誰の考え方であっても間違いということはありませんので、主人公である睦月の「在り方」がテーマだったのではないかと思います。
すなわち、たとえ傲慢であろうとも、自分が正しいと思うように強く生きるという立ち振る舞いです。
自分の考えを通すということは、他人の考えを排除することでもありますが、だからこそ覚悟と責任を持って選択していくことが大事だということなのだと思います。

ネットでも現実でも、自分の考えを表明すれば、賛成の声も反対の声も聞こえてきます。
僕は、睦月ほど強くないですし若くも無いですが、時には傲慢に、今後もプレイしたゲームの感想を書いていこうと思います。

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