殺人鬼フジコの衝動(小説・真梨幸子)感想 あまりお勧めしない理由

小説
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実写化や続編なども登場している小説「殺人鬼フジコの衝動」を読み終えました。
どんでん返しが凄いというレビューがあったため、興味を持って読んでみました。

結論から言うと、あまり面白いとは思えなかった作品でした。

以下、ネタバレ込みで感想について書いていこうと思います。
これから読もうと思っている人や、ネタバレを見たくないという方はご注意ください。

作品全体についての感想

ミステリというよりも、一人称形式のサイコサスペンスホラーという印象の作品でした。
序盤はまだ感情移入できる内容で、同情を覚えることもありました。
小学校時代の、女子特有のドロドロしたコミュニティでのマウント合戦、夫婦仲が崩壊している両親からの虐待などの描写は、読んでいてストレスが溜まっていく内容でした。
読者の心を揺さぶるという点では、見事という他にない文章です。
桐野夏生などもそうでしたが、こういった人間関係のドロドロさ、えげつなさを書く力というのは、女性作家の方が優れている人が多いように感じます。

後半、主人公が殺人鬼となっていく過程では、その自己中心的な性格に対しての嫌悪感が強くなっていきました。
人生の節目節目で、明らかに良くない選択ばかり選んでいき、どんどん転落していくさまを見ながら、これが自分でなくてよかったというような気持になります。
物語の展開自体は、予想を裏切らない流れが続き、最初の数十ページまでに抱いた印象が最後まで持続しました。

フジコの最初の子供である美波は、育児放棄と虐待によって結局死んでしまうのですが、その描写は読んでいて耐え難いものでした。
最初のうちは、楽しそうにはしゃいでいる描写もあるだけに、悲しい気持ちになります。
虐待については、以下のようにエスカレートしていきます。

1・美波は押し入れがお気に入りなので、寝るときだけはそこで寝させるようにする
2・夫の裕也がうるさがるため、押し入れで生活させるようにする(美波も特に不満は無し)
3・押し入れからすすり泣きが聞こえるが、食べ物と水を置くだけにする
4・美波の頭に虫が湧いて掻き毟るようになるが、気持ち悪いので押し入れに突き飛ばして放っておく
5・頻繁に泣くようになるので、ガムテープで口を塞ぎ、押し入れに閉じ込め、外に出ようとしても、足を思いっきり叩いて出させない。
6・「体が軽くなり背中も腐り始めている」「自力では座れない」という描写があり、おそらく瀕死だと推測できる。
7・「1週間振りに襖を開けた」という記述があるので、仮に健康な状態であったとしても完全に死亡するだろうと思われる。

僕は自分の子供が生まれてから、小さい子供に関する事件や事故のニュースを聞くと、かなり感情移入してしまうようになってしまいました。
そのため、子供に対するこういった描写はかなり頭に残りますし、精神的にダメージを受けます。
こういう毒気に中てられたい人には、お勧めできるかもしれません。

トリックについての感想(ネタバレ注意)

この作品が、作中作という形式をとっていることを利用したトリックでした。
1章・2章はフジコの視点で書かれているように読ませていますが、実は娘の早季子の視点で描かれています。
確かに、1章・2章での書き手の一人称は「わたし」であり、誰なのかは明記されていません。
時系列としては、3章~8章→1章→2章→9章→10章というように流れていきます。

というわけで、1章・2章はフジコの家庭内についての描写だと思わせておいて、実は両親がフジコ自身だったということになります。
注意深く読めば、細部の描写に矛盾点があり、1章・2章の書き手はフジコではないということが読み取れるそうです。
つまりこの作品のトリックは、書き手を勘違いさせることによって、読者に驚きを与えるというものです。
個人的には、「作中作形式の作品は書き手を疑え」と思っているので、やはりそれを利用したトリックが出てきました。

面白いとは思えなかった理由

さて、本作を読んであまり面白いと感じなかった理由について考えてみました。
まず理由の一つ目は、トリック自体に気づきにくいという点です。
1・2章がフジコの視点だと勘違いしたままでも、そのまま読めてしまいます。
確かに、9章で早季子視点なのに、唐突にまた「Kくん」が登場して、その点は不思議に感じるかもしれません。
しかし本作では再三、フジコは母親と同じ道を辿るという暗示がなされています。
そのため、フジコの娘である早季子の前にも、かつてのフジコと同じように「Kくん」と同じような存在がいたのだという理解が出来てしまいます。
さらに作品の最後で、フジコの家族が殺された事件と、フジコが夫を殺した事件の黒幕は叔母とコサカの母であることが明示されています。
そのインパクトもあり、作品の構造上のトリックの印象が薄れてしまうということもあると思います。


そして理由の二つ目は、トリックに気づいたとしても、特になにかが変わるわけではないからです。

こういった叙述トリックが判明することにより、物語の意味が全然変わってくるならば、大きな衝撃を受けるでしょう。
例えば、「イニシエーション・ラブ」などは、そのトリックに気づいたとき、作品の意味と印象が大きく変わります。
しかし本作では、1・2章がフジコであっても早季子であっても、あまり心動かされるものはありませんでした。
むしろそのトリックよりも、叔母が黒幕という事実の方が驚きの度合いは大きかったように感じます。
(どちらもそれほど大きな衝撃とは感じませんでしたが、強いて言うなら叔母の事実の方が大きい、という意味です)

三つ目の理由は、読み進めていく辛さとトリックで騙される快感を比べた際に、辛さの方が上回ってしまうからです。

前述したように、本作のトリックでは、あまり僕は衝撃を受けませんでした。
しかし本編を読んでいると、それだけでかなりの精神力を削られていきます。
そうなると本作を読み終えた後、心に残るのはトリックの面白さではなく、うんざりするような鬱屈した毒気だけになってしまうのです。
こういった理由で、本作をあまり面白いとは思えませんでした。

まとめ

以上の理由より、本作はあまり面白いとは思えませんでした。
単純につまらないだけなら、いつもは途中で読むことをやめたり、飛ばし読みをしてしまいます。
しかしそうならず、最後まで一気に読み進めることが出来たのは、この作品が持つ強烈な負のエネルギーによるものだと思っています。
その負のエネルギーにあてられてしまうため、この本を読むことはあまり他人にはお勧めできません。

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