本作はSRPG『異端のふたり』の登場人物である、ユリアノに焦点を当てたスピンオフ作品です。
本編や外伝をプレイした後でないと、キャラクターや背景が把握できないと思いますので、まずは本編と外伝を先に遊ぶことをお勧めします。
クリア時間は約1時間でした。
ゲーム概要・感想
『異端のふたり -悪魔の女-』は、ユリアノの暗躍を断片的に描いたSRPGです。
印象に残るキャラクターが数多く登場するシリーズの中でも、ユリアノは多くのプレイヤーにトラウマを与え、人気があるキャラクターだという印象があります。
本作は、そんなユリアノのキャラを掘り下げていくのに一役買っている作品だと思います。
クリア自体はそれほど難しくなく、主にテキストが楽しめる内容となっています。
戦闘システムとして面白いのは、蘇生の杖による味方ユニットの生成です。
SRPGでは伝統的に、倒されたユニットが二度と使えなくなってしまうロスト方式が、多くの作品で採用されています。
しかし作品によっては、条件を満たすとロストしたキャラを生き返らせる手段が用意されているものもあります。
この「蘇生」という、SRPGでは奇跡に相当するポジティブな行為が、本作では戦闘で使い捨ての駒にする手段として登場します。
この点に、命ですら手段の一つでしかないユリアノの非情さが表れているように感じます。
ユリアノ自身は強いのですが、数で攻めてくる敵に対しては、こちらも蘇生によって数で対抗しなければいけない場面があります。
『異端のふたり』本編では、SRPGにおいてプレイヤーサイドが使う機会が少ない遠距離魔法やワープを存分に使える場面がありました。
本作における蘇生も同種の試みが感じられます。
また、村に訪問(襲撃)することで、ユリアノ本人のHPと魔力が大きく上昇します。
言うまでも無く、村人たちの生気を喰うことにより、自身を強化しているわけです。
このように、通常のSRPGと同様、村を訪問するということにメリットがあります。
しかし、そのメリットを得るための内容が真逆であるという点は、非常に対照的であると感じます。
この辺りの、いともたやすく行われるえげつない行為は、システム面からもユリアノというキャラクターを上手く表現しているのではと感じます。
スクリーンショットを添えた感想(ネタバレあり)
この項目では作中のスクショと共に、プレイ中の所感を記していこうと思います。
当然ながらネタバレがあるため、プレイ前に読むことはお勧めしません。
「私に敵うとお思いで?」というセリフは、個人的にはユリアノの決めセリフと思っています。
ユリアノは淡々と、それでいて丁寧に相手を煽るセリフが魅力的だと思います。
亜種として「朽ちるのは、この地の方では?」というのもあります。
日常で腹が立ったときのために、心の中にユリアノを住まわせておくと、反撃できることがあるかもしれません。
「死体図鑑」は、いわゆる登場人物の紹介となる人物事典です。
記載された人物が全員死亡しているということもあり、禍々しい雰囲気を醸し出しています。
その内容に驚く事なかれ、名も無きモブキャラ達であっても一人一人目録があり、説明を読むことができます。
ここに載っている死体は、「蘇生の杖」等の手段でプレイヤーが操作することができます。
「誰かの手記」は、死体図鑑には載っていない、生存している人物によって書かれています。
外伝のトゥリニーとの関連もあり、ユリアノを近い場所で見ていた人物ならではの興味深い内容となっています。
ボウタンが既に死んでいることを考えると恐ろしく感じます。
ユリアノらの名前は、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合のよう」が由来でしょう。
しかしその華やかな名前にくっつくファミリーネームが「ファウスト」と、物騒なものになっている点は、見た目と中身がまるで違うグロテスクさをよく表しているように感じます。
本作には他にも、キャマッセ・ウィーヌ(=噛ませ犬)、ワカッティ・ルノカオイ(わかっているのか、おい!)、ナイラック司祭(=幸運が無い)など、いくつかの意味が込められたネーミングとなっているキャラが多く登場します。
どういう名前の由来なのか、推理や想像をしてみるのも一興でしょう。
スファレに「お嬢様には酷な遠足であったろうが、良い社会勉強にはなっただろう」と言われた後に、この皮肉で返すシーンです。
やられたらちゃんとやり返すという人間臭い部分があるので、ただ冷酷で非情なキャラとは違うことが感じられます。
元ネタのことを考えると、「はあ・・・」と返す間もなく死亡してしまっているのが少し可哀想に思います。
彼自身蘇生の杖を持っているので、味方を生み出す起点としてとても便利ですが、わかっているのか、おい!
この辺りのくだりは、残酷表現などが許されるR-18版があれば、より映えるのではと妄想してしまうシーンです。
ユリアノ&オウバイが主人公の地域制圧型シミュレーションなんかを想像してしまいました。
暗黒魔道士を盾にしているコメディアン集団の長が、実はかなりの実力者だという点は非常に格好いいところです。
彼の強さについては外伝をプレイしていれば十分わかるかと思いますが、コメディシーンとシリアスシーン、どちらでもいい味を出す器用な男・それがフジオです。
実際、ユリアノ自身が本気でかからないと倒せなさそうです。
殊勝な物言いをしながらも、大半の犠牲者をナチュラルにその他大勢扱いをしている辺り、ユリアノの興味の無さが如実に伝わってきます。
ジョジョ3部でDIOが承太郎たち一行の名前を言おうとするとき「花京院や他の二人……ええとなんだっけ……」と言うシーンがあるのですが、それと同様の雰囲気があります。
(つまり、名前もちゃんと覚えていないほどどうでもいい存在だということです)
悪魔の女という呼び方は、陳腐なようで、しかしそれ以外にはあり得ない異名のように感じます。
ユリアノがマルサスたち一人一人評していくウィンドウ下のメッセージが良いですね。
ユリアノからそこそこの評価を下されているヨミズ君が誇らしく感じます。
「数の一つに過ぎない」という言い回しが無機質で素っ気なく、好きです。
ユリアノが心の中でどう思っているのかは分かりませんが、オウバイと話しているときは何だか楽しそうに感じられました。
お互い自分のために利用しているだけですが、それを特別隠すことなく本音で話しているという点で、健全な関係のように見えます。
本作における『異端のふたり』とは、まさにこの二人のことを指しているのではないかと勝手に思っています。
敵役のスピンオフ作品を遊ぶと、往々にして、その敵の不幸な生い立ちなどを知り、少なからず同情してしまうことがあります。
しかしユリアノに関しては、彼女の背景を多少知ったところで、邪悪さの解像度が上がっただけであり、プレイ前とプレイ後の印象が変わらないということに驚きを感じています。
闇をいくら掘り下げても闇が掘り起こされるだけ、と言ったところでしょうか。
そういう意味では、揺るぎない敵役として魅力のあるキャラクターだったと思います。
ちなみに、ボーナスポイントを貯めて閲覧できるエピソードでは、カレー男爵やDMCの面々とも会うことが出来ます。
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